漆器の島安【うるわしうるし】根来,テーブルコーディネート,折敷,茶道具

漆器の島安は、日本四大漆器の産地「和歌山県」で大正5年(1916年)に創業した日本最大級の漆器専門店です。

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島安の漆器ブランド

島安では主に3つの漆器ブランドを取り扱っております。紀州伝統の「根来塗」。霞根来や白うるし-変根来を代表とするモダン漆器「Neo Japanesque 汎」。世界的に問題となっている環境問題に真摯に向き合っていきたいと思い立ち上げた「Njeco汎」。ここではその3つのブランドと創業大正5年から受け継ぐ島安のこだわりについてご紹介したいと思います。
根来塗
根来塗
本来は朱漆の塗り物ですが、技術が未熟だったために、使用しているうちに表面の朱塗りがはがれ、下塗りの黒漆がところどころかすれて露出してしまいました。これがかえって趣あるものとして喜ばれ、故意に工夫して表面の朱を研ぎ破るようになりました。 これがいつの間にか「根来塗」と称され、変わり塗の重要な一手法となりました。
 
Neo Japanesque 汎
Neo Japanesque 汎
代表的な商品として「霞根来」や白うるしなどの「変根来」があります。霞根来は、根来塗から生まれた技法を用いて仕上げられた現在の塗りです。 霞のようにぼやけた感じが特徴で、研ぎ出しの加減により一つ一つ趣が違うのが面白く、手作りの味がうかがえます。 微妙な調合の漆を何回も塗り重ねますので、独特の奥深さと高級感をかもし出します。茜・瑠璃・山吹・松葉・紫根の五色で展開しています。変根来は、従来の伝統的な根来塗の技術を活かしながら、乳白色の塗りにゴールドの模様が映える現代感覚の塗り物です。色彩が上品なイメージなので、こちらも洋風のインテリアにも活用できる新しいシリーズです。
 
Njeco汎
Njeco汎
島安としても環境問題に真摯に取り組んでいきたいという思いから『まじめにエコプロジェクト』を立ち上げました。その一貫としてシリーズ化したのが 「Njeco汎」。紀州漆器の産地、和歌山県が誇る世界遺産の熊野、中辺路では森林育成に欠かせない間伐作業が行われます。発生した間伐材は今まで利用価値のないものとされてきました。島安ではその間伐材を加工し、台形集成材(接着剤はホルマリンの含まれていないものを使用)を使用することによって、エコ でありながらスタイリッシュな「Njeco汎」を生み出しました。
 
島安のこだわり
現在の紀州漆器は日本の高度成長期と重なり大量生産の一歩をたどりました。木地のベースをプラスチックに変更し、塗料も漆からウレタン、カシューなどの合成塗料を使用し噴き付け塗装し、蒔絵などの装飾もスクリーン転写を使うなど漆器の近代化の道を歩みました。それは貿易にも向き、欧米、アラブ諸国に輸出されました。漆器は英語でラッカーウェア(Lacquer Ware)と呼ばれ、その地位を世界的に向上させたのは間違いないと思います。

島安の三代目島五郎が16歳の時、当時の自動車が綺麗に塗れているのを見て二代目島秀一に相談したところ、「どうやらコンプレッサーという機械を使って塗っているらしい」と判り、全国で始めて吹き付けによる漆器開発を始めました。塗料の開発や乾燥の仕方など今まで経験した事がない初めての事でそれが完成されるや否や、島安の生産量は大幅に上がりました。まさしく拭きつけ漆の開発は島安から始まったのであります。

そこに大手企業から依頼を受け、プラスチックのお盆に吹き付け塗装が始まったのであります。それにより、何千枚、何万枚もの商品を短期間で製造することが可能になりました。まさしく漆器の産業革命の発端の会社となったのであります。拭きつけ塗装を教えて貰いたいと三代目島五郎の弟子も沢山増えました。その内弟子が卒業して行き、紀州漆器の代表企業として、島安発信の量産型漆器の体制が整っていったのでありました。

ただその事によって伝統的な職人が他県に移住、後の紀州漆器の産地の空洞化につながるのでありました。島安はまさに紀州漆器、いや全国の漆器の革命をおこした中心の会社だと言えるでしょう。

時代が過ぎ、プラスチックの素地メーカーも紀州漆器の産地の中で沢山でき、瞬く間に大産地となりました。百貨店では紀州漆器がずらっと並び、法人の記念品やノベルティー個人のギフトまで沢山沢山販売され、その当時の問屋さんの話を聞くと、営業に行ってサンプルだけでも数千枚単位の注文をもらってくるようになり、生産が間に合わないくらいになっていったそうです。島安もその当時はプラスチック素地のモノを大量に塗っていて注文も沢山もらっていたそうです。

そうなると伝統的手法での漆器の製造工程、木地・下地塗・中塗・仕上塗の職人が仕事に溢れました。そう拭きつけ職人以外仕事が無くなったのです。刷毛をガンに持ち替えた職人さんは紀州で生き残れましたが、伝統的な職人さんは職を無くしました。

そこでこんなエピソードがあります。受注を受けていたプラスチックのお盆を制作し、倉庫にストックしていたとき、納品時にそのお盆が何処を見渡しても見つかりません。するとお風呂場の煙突から黒い煙がモクモクと出ています。火事かと思い急いで見に行くと、二代目島秀一がそのお盆を薪と一緒に燃やしているではありませんか。みな唖然としてその光景を見ていたそうです。三代目を始め、社員は秀一の話を聞く事になりました。「プラスチックというものは車や電化製品には向いていると、わしは思うんやが、漆器には向いてないと思うんや」言い出し「確かに今は注文とれるのはプラスチックの商品やろうけど、まあお前たちは俺が食わしてやるから島安はプラスチックを再び捨て、木製を中心に商品開発して行くぞ」と言ったそうです。

こうして、各工程の職人を受け入れ、全国的に珍しい漆器の一貫作業が島安で確立されました。普通、漆器が商品開発されていく行程は、その地域の問屋、いわゆる産地問屋が商品開発し、木地屋、塗師屋に指示しオリジナル商品を開発し百貨店問屋に代表される中央問屋に卸すのです。あるいはその逆で中央問屋が産地問屋に依頼して商品開発するのが主流です。

島安は製造メーカーでありながら産地問屋の機能も持つようにしました。オリジナル商品を島安で開発したのです。その事は流通の中でも革命を起こし、製造メーカーが産地問屋を通さず中央問屋に卸すという事は流通過程を一つ飛ばす事になり、コストダウンになりますから、クオリティの高い商品をリーズナブルなお値段でお客様に提供する事が可能になりました。

また、プラスチックと違って木材加工品は金型の先行投資は不要です。金型を使用するプラスチック製品は売れている時は良いのですが売れなくなると、巨費がかかる金型に投資しにくくなります。現在のように商品が大量に売れない時代だと一番大事な商品開発に支障がでてきます。木製の場合それが無いので、時代のトレンドをリサーチしながら商品開発が出来ることも相まって、島安の多品種小ロットの生産体制が整いました。

他の漆器産地でそれが出来ないのは、やはり分業制という事実があります。島安の場合、次々と商品開発が出来ますので日本最大級の漆器の商品数を持った企業へと成長していったのであります。